季節のブログ記事
2010年07月24日(土)電気も薬品も使わない虫除けの知恵『蚊帳=かや』
いやいや暑いですね~。まさに日本全国猛暑列島です。まだ7月ですからこの暑さ、しばらくは続きそうですね。私も少しは身体を暑さに慣らそうと、夜はエアコンを止めて天然の風で就寝。しばらくすると『ぶ~んゥう~ん』と耳元に密かな唸り音が…。蚊の羽音です。この音を聞いただけで痒くなりませんか? 今日はそんな蚊や害虫を遠ざけておしゃれに安眠するための古くて新しい生活の知恵『蚊帳』の話題です。
最近の殺虫剤、よく効き過ぎて不安になりませんか?

『プチュッ!とワンプッシュで12時間蚊に刺されない空間を作ります!』とか、『網戸に貼るだけで蚊が近づかない!』など、ドラッグストアの店頭には驚くほどお手軽で小型化された殺虫剤がズラリと並んでいます。これらの殺虫剤や害虫忌避剤の主成分はピレスロイド系と呼ばれる殺虫成分で、元々は除虫菊に含まれてる天然成分です。ヨーロッパでは既に18世紀に農薬として使われていました。しかしこの天然ピレスロイドは光や酸素に対して安定性が悪く、分解されるまでの時間が短い短時間作用型の殺虫(防虫)成分。この欠点を補完すべく合成ピレスロイドが研究され、20世紀前半には実用化、現代では殆どが合成ピレスロイドに取って代わられています。蚊取線香も現代のものは合成ピレスロイドを練り込んで作られています。
ピレスロイドは昆虫、両生類、爬虫類、魚類に対しては強い神経毒性がありますが、鳥類、ほ乳類に対してはその作用が弱く、人畜に安全性の高い殺虫成分とされています。もちろん市販されている殺虫剤や忌避剤は、メーカーでも十二分に安全性が確認されているはずですし、通常の使用状態であれば特別にアレルギーを持つ人以外は安心して使える製品です。ただ 『プチュッとワンプッシュで12時間の効き目』とキャッチコピーを読むと、『そんなに効くの?人には本当に大丈夫?』と少々不安になってしまいました。
蚊取り線香は煙いし、寝ぼけ眼で蚊を捕まえるのも困難…

そんな訳で過日の私は一旦手に取った殺虫剤を棚に戻し、結局購入せずに帰宅してしまいました。子供の頃からマット式電子蚊取にアレルギーがあった私は、やむなく例年通り蚊取線香を使うことにしました。しかしやはり火が点いた状態で眠る事への不安感、そして蚊取線香はやっぱり煙い!部屋にもカーテンにも、蚊取り線香のヤニの香りが染みついてしまうのが最大の欠点です。
更にあのうるさい蚊。 うとうととすると『ブ~ン』と耳元にやってきます。暗闇の中で払っても叩いても命中することは至極まれ、苛立ちのあまり照明を点けて探しても、寝ぼけ眼で小さな蚊を見つけるのは至難の技。かといって刺されたときのあの堪らない痒みを考えたら、やっぱり放ってはおけません。そして翌日の睡眠不足…。『小さな虫一匹に振り回されて!』と思うと無性に腹が立ってきます。
古くて新しいエコ虫除け『蚊帳』が今見直されています。

子供の頃の事ですが、蚊との戦いに疲れ果て、自分がシーツと布団の間に潜って眠ってしまったことがありました。何故か今でも息苦しかった事を覚えています(笑)。これぞ『蚊帳』の原点かもしれませんね。と言うのも蚊帳の歴史を辿ると古くは奈良時代、蚊帳は当時中国の唐から日本に伝えられたようです。当時の素材は絹か木綿、今のようなレーシーでソフトなものではなかった事が覗えます。当然上流階級の人たちの贅沢品でした。庶民の間に蚊帳が普及したのは江戸時代以降のことです。元来日本の住宅にはガラスなどは無く、障子と雨戸を使い分けて開口部を仕切っていましたから、昆虫たちも出入は自由。自分自身が網の中に入ってしまうと言う蚊帳は害虫を除け、快適な空間をキープするための画期的な秘密兵器だったのでしょうね。
電気も薬品も使わないので、薬物アレルギーの心配も無し

戦前の日本では蚊帳はごく一般的な生活の道具でした。徐々に使われなくなったのは、昭和40年代に入ってからのこと。機密性の高い金属サッシュの窓が普及し、コンクリートの集合住宅が次々に建設され、クーラーや扇風機が普及、一気に生活が近代化された時代です。マット式電子蚊取や合成ピレスロイド系の強力殺虫剤が普及したのもこの時期です。畳んだり張ったりに手間が掛かり、ある程度のスペースを必要とする蚊帳は、コンパクトで近代的な団地の暮らしには邪魔だったのかもしれません。
しかしながら地球環境を考え、ナチュラルな暮らし方を見直そうと言う考え方が広く人々に指示されるようになった現代、電気も火も薬剤も使わずに害虫から身を守る蚊帳は自然に優しい方法として再び注目されるようになってきました。薄い布が一枚あることで、扇風機やエアコンの風が直接当たることも防いでくれますし、害虫とは言え、生態系の一部である蚊を殺すのではなく、除けて共存することにも意味があるのかもしれません。防犯上の心配さえなければ、窓を開けて寝ても虫に悩まされることはありません。出来れば夜くらいは自然の風の中で眠りたいですね。
寝台文化のエスプリ『天蓋』に通じる透明なファブリクスの魅力

ベッドで眠る文化を持つ欧米やアジアの地域では、天蓋と言って美しいドレープを着けたカーテンの様な布でベッドの周囲を覆う装飾がありますね。繊維を作り、布を織ることに関しての技術も飛躍的に進歩した現代、伝統的な蚊帳も作り方によってはまるで天蓋のようにおしゃれに楽しむ事も出来ます。日本でも今やベッドで眠る人の方が多いと聞いた事があります。それならば一夏の間、天蓋のごとく蚊帳を張ったままにしておくのも一案ですね。布で囲まれた小さな空間は、不思議な安らぎと安心感を与えてくれると言われています。インテリアアイテムとして一年中使っても素敵です。ただし出入りの際はくれぐれも蚊を一緒に入れないようにご注意を!
暮らしの様々なシーンに生きる『蚊帳』の知恵

蚊帳は眠るときに使うばかりではありません。アウトドアではテントの内側に蚊帳が一張あればグッと快適に過ごせます。お風呂上がりの浴衣が心地よい晩夏の夕涼みには、蚊帳に入って縁側の窓を開け、高くなった月を見ながら冷たいビールを一杯。昔は後で食事をする人の為に、用意した食膳にドーム型の小さな蚊帳を掛けていましたね。現代と違い、食品包装ラップも冷蔵庫も無かった時代の生活の知恵です。高度な科学技術を手にした人類は、邪魔なものは退治し征服する事でさらなる知識や技術、快適な環境を手にしてきました。でもちょっと立ち止まり、『除けて共存する』というのも一つの方法だなぁと改めて考え直した次第です。
猛暑や熱帯夜に悩まされる今の時期よりも、日没後の風が肌に心地よい夏の後半、エアコンを止め、蚊帳を吊って窓を開け、静かに流れる風の音に耳を傾けてみる。天蓋代わりに蚊帳を張り、殺虫剤をやめてみる。それだけでいつもの風景がちょっと違って見えて来ます。今年の夏、ちょっと試して見ませんか?
写真でご紹介した蚊帳は有限会社菊屋さんの製品です。連絡先:TEL.0538-35-1666(静岡県磐田市)
ホームページには蚊帳に関する色々な情報がありますのでこちらもご参照下さいね。
Writen by Y
2010年01月11日(月)冬至を過ぎて三週間。日の出が遅くなったような気が...?
新しい年を迎えて早くも十日。季節は寒に入って一年で一番寒さの厳しい季節を迎えています。それでも新年=初春を迎えると、なんとなく気分が華やいで春が近いような、底を打ったようなウキウキ感がありますね。
ところでふと思ったのですが、夜明けの時間って冬至の頃より遅くなっているような気がしませんか? 冬至から既に三週間も経っているのに。確かに夕方は大分明るい時間が長くなったように感じます。なんだか不思議ですよね。今日は普段気にすることも無い、そんな大自然のナゾを紐解いてみることにしました。
夜が一番長いのは本当に冬至の日?
我が家の年寄り曰く『そんなことは当たり前だ!夜明けが一番遅い日は冬至より後にズレることになっておる。その分日暮れが伸びるから、夜が一番長いのは冬至の日で正しい。太古の昔からの決まりごとだろう!ったく今時の若いモンはそんなことも知らんのか!』と一蹴されてしまいました。『爺ちゃん、それホンマかいな?』
と言うワケで調べて見ると…。

東京地方、平成21年12月冬至の前後で一番日没が早いのは、11月29日~12月13日の15日間。16:28の日没(一分単位表記)です。アレ?今年の冬至は12月22日ですから、冬至の日に日没が一番早い訳ではないのです。
更に日の出が一番遅いのは、平成22年1月元日~1月13日までの13日間。6:51(一分単位表記)の日の出です。どうやら我が家の年寄りの言うことは正しかったようです。これにはびっくり。
では実際に昼間の時間を計算して見ましょう。
まず日没が一番早い時期の真ん中の日=12月6日を計算します。日の出6:36、日の入16:28で日中の時間は9時間52分。
次に冬至の日=12月22日を計算してみます。日の出6:47、日の入16:32で日中の時間は9時間45分。
日の出の一番遅い時期の真ん中の日=1月7日を計算すると。日の出6:51、日の入16:43で日中の時間は9時間52分。
やはり日中の時間が一番短いのは冬至の日なのですね。 この時刻のズレは、太陽の軌道が正円ではないこと、地球の自転軸が少し傾いていることによるのだそうです。上記日の出、日の入の時刻は国立天文台のホームページはに詳しく掲載されています。上記計算例では東京地方の数値を使っていますが、全国各地の日の出、日の入の時刻も調べることが出来ますので、お住まいの地域の数値でも計算してみてくださいね。

夕暮れが少し遅くなったように感じるなぁ…と思っていたら、なんと一番日の入が早い頃(16:28)から比べると、成人の日の1月11日では16:47。およそ20分も日暮れが遅くなっているのですね。一方日の出の方は冬至から4分ほど遅くなっています。でも朝のお目覚め時に外が暗いとなかなか元気が出ませんね。『まだ夜じゃないの…』と思ってしまうのは私だけでしょうか?
日の出、日の入時刻の一覧表を見ていると、共に極点(一番遅い時、一番早い時)に達している期間は二週間程どですが、その前後は殆ど2~3日ごとに1分の割合で時刻がズレてゆきます。こんなに変化しているのですね。大自然の仕組みの偉大さ、不思議さに気付かされた気がしました。
太陽は正午に南中すると思っていましたが…

国立天文台の日の出、日の入時刻一覧表には、このほか太陽の南中時間、太陽高度が記載されています。これを見ると東京地方に限って言えば、一年を通して太陽が正午に南中することは無いようです。こちらも一年を通じ徐々に時間がズレて行くのですが、一年の中で南中する時間が一番早い時期は10月23日~11月24日の間。なんと午前11時25分には南中してしまうのです。一番遅い時期は2月1日~2月22日で、それでも午前11時55分。日本列島は南北に長いですから、緯度が変われば南中時間もズレるはず! 日本標準時の基準となる明石の近くなら正午に南中するかも?と調べてみると、兵庫県(神戸)では4月10日頃に数日間正午に南中していることが解りました。
日本の各地を比べてみると、日の出、日の入時刻がこんなに違う!
以前京都に住む友人が遊びに来た折、『東京は日暮れが早いんやねぇ~』と言っていたのを思い出し、冬至の日の各地の日の出、日の入時刻を調べてみました。

北海道(根室) 日の出6:47、日の入15:45で日中の時間は8時間58分。
福島 日の出6:50、日の入16:23で日中の時間は8時間33分。
東京 日の出6:47、日の入16:32で日中の時間は9時間45分。
京都 日の出7:01、日の入16:50で日中の時間は9時間49分。
山口 日の出7:16、日の入17:09で日中の時間は9時間53分。
福岡 日の出7:18、日の入17:14で日中の時間は9時間56分。
鹿児島 日の出7:14、日の入17:19で日中の時間は10時間05分。
沖縄(那覇) 日の出7:31、日の入17:43で日中の時間は10時間12分。

いやはや驚きました。日の出で最大約40分、日の入で最大約1時間、日中の長さで最大約01時間15分も差があるのですね。それぞれの地域にそれぞれの気候風土に合わせて育まれた暮らしがある。そんな思いを新たにしました。
照明や空調でコントロールされた環境に居ることの多い現代人。ついつい忘れてしまいがちな自然の営みに思いを馳せると、なんだか気持ちが大らかになるような気がします。国立天文台のホームページにはこのほかにも興味深いデータが色々掲載されています。忙しくてイライラ、ストレスでカリカリしたら、ちょっとのぞいてみては如何? 国立天文台天文情報センターホームページはこちら
Writen by SS
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2010年01月01日(金)2010年明けましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。

いよいよ2010年、平成22年がスタートしました。平成になってもう22年なのですね。小渕内閣官房長官(後の総理大臣)が『平成』と大きく墨書きした半紙を持ち、記者団に向かって『新しい元号はヘイセイです!』と緊張気味に話しておられたのがついこの間のことのように思い出されます。(年齢がバレバレ?(笑))
さて新年一回目のスタッフブログはやはり新年の話題にしましょう。前回に引き続いて現代に伝わるお正月、新年のしきたりについてお話しましょう。
お屠蘇について。一家で飲む順番に決まりがある?
新しい年を迎えるとまずすることがありますね。そうです。一家揃ってお屠蘇を頂くことですね。ところでこのお屠蘇、屠蘇散(とそさん)と言うブレンドされた生薬を漬け込んで作る薬酒だと言うことをご存知でしょうか?『そんなこと当たり前でしょう!』と言う方と『へぇ~、そうなんだ…』とおっしゃる方と両極端ですよね。それもそのはず、もともとこの屠蘇散を使った薬種を正月に頂く習慣は西日本以西のものだったようです。その他の地方では、正月に飲む祝い酒のことを『お屠蘇 』 と呼んでいるところが多いそうです。関西系の私にはこの話の方がよほど『へぇ~、そうなんだ…』でした(笑)。
屠蘇散(とそさん)には一般に、白朮(びゃくじゅつ)、桔梗(ききょう)、山椒(さんしょう)、防風(ぼうふう)、桂皮(けいひ)、陳皮(ちんぴ)、丁字(ちょうじ)などの生薬がブレンドされているようです。漢方的には、身体を温め、胃腸を整え、気管支やのどを保護する働きもある処方だそうですが、お屠蘇をちょこッと頂いて、「効く」と言うレベルの話ではなさそうですね。古来お屠蘇を元日に頂くと一年間健康でいられるとされ、もっぱら邪気払いの行事、風習として伝え継がれていると言った方が正しいのかもしれません。
さてこのお屠蘇。みなさんの家では誰が一番最初に頂いているでしょうか? 昔から伝わっている風習だし、当然家長jから順次家族に下りて来るものだと思っていたら、全然違いました。年少者から飲みまわしてゆくのが正式なのだそうです。もちろん現代でも家長からとする風習もあるようですが、そのようになったのは殆どが明治以降のおはなし。年少者から飲みまわす理由としては、毒見の意味があったのではないか…とか、若者の生気を年長者に送る意味がある…とか言われているようですが、本当のところは定かではありません。
もう一つ面白い話を聞きました。屠蘇散(とそさん)と言う薬種を使ってお屠蘇を造りますが、その出がらしと言うか、使い終えた薬種を井戸に投げ入れ、その水を飲んでいると一家が無病息災であるとする習慣があるのだそうです。もちろん物理的に考えれば、お屠蘇の出がらし程度の量を井戸に入れても、飲料水に浸出する薬種の成分濃度は限りなくゼロに近いものでしょう。その昔、貴重な薬種を無駄なく使いきり、香りを楽しみ、縁起を担ぐ生活の知恵だったのかもしれません。現代では井戸そのものが殆ど飲料水として使われなくなっていますので、こんな風情のある慣わしも消えつつあるのでしょうね。一度屠蘇散(とそさん)をお水で抽出してみましょうか。桂皮(シナモン)や丁子(クローブ)が配合されているので、爽やかな芳香があります。ちょっとした和製ハーブウォーターになるかもしれません。
お正月のお飾りって何時まで飾っておく? 後始末はどうすれば良い?

最近若い方から良く訊ねられる話題です。地方によって習慣に差があるようですが、一般的には松飾(門松、輪飾りなど)は松の内と言って七日まで飾っておきます。或いは15日の小正月まで飾っておくと言う地域もあるようです。また鏡餅では、鏡開きと言って11日に下ろし、この日にぜんざいにして餅を食べると言うのが一般的です(実際にぜんざいを作っているかどうかは疑問ですが…)。これも地方により異なる習慣があり、20が鏡開きと言う地域もあります。気温の高い地域では、松も餅も傷みが進みますので、飾る期間が相対的に短いように感じます。現代住宅の暖かい室内で生の餅を20日も飾っておいたら、それこそカビだらけになって青い鏡餅になってしまいそうですね。
一番問題なのが下ろしたお飾りをどうするかですね。そもそもは地域の氏神様へ持参し、どんど焼きに持ち込んでお焚き上げするのが正式ですが、現代、特に都市部では集合住宅も多く、『氏神様って何?』と言う方も少なくありません。かといって庭先や道端でお焚き上げをすると、ご近所とのトラブルに発展しかねません。では一般ゴミとして生ゴミと一緒に捨てる?それもちょっと気がひけて、『どうしたら良いのでしょうか?』となるわけです。
現在初詣を受け入れている神社仏などでは、その多くがお正月飾り、破魔矢、お札などのお焚き上げを受け入れてくれます。初詣期間中にどんど焼きを行い、前年のお札や破魔矢などに限って受け入れているところもありますし、15日又は任意の日に行事としてお焚き上げ(どんど焼き)を行い、松飾なども受け入れてくれる所もあります。もちろん個人の考え方次第ですので、気にならなければ燃えるゴミとしても差し支えないでしょう。しかしお飾りは神様の依り代とする考えもあります。少々気がひける場合は、氏神様ではなくても近所の神社仏閣のどんど焼きでお焚き上げして頂くのが無難な選択です。大型の門松などは設置してくれた業者さんが引き取って処分してくれます。
僧侶の方のお話では、最近はどんど焼きについてもご近所から苦情が来たり、色々とうるさくなって大変なのだそうです。更にお参りに来られる方も、人形とか剥製、いわれのあるものなど、ゴミに出すのに気がひけるものをどんどん持ち込まれるのだそうです。お正月飾りやお札なら、殆どが自然のもので焼いても灰になるだけですが、人形や樹脂製のもの、金属、ガラスなどが一緒に持ち込まれていると、有毒ガスが出たり、異常な燃え方をしたり、燃えカスが残ってこびりついてしまったり、灰を処理する祭に怪我をしたりと危険なケースも少なくないのだそうです。お焚き上げをお願いする際には、業者ではなく、僧侶や神職さんが直接お焚き上げして下さることを考え、ルールを守ってお願いするようにしたいものですね。お賽銭箱がある場合は、気持ちをお納めしてくる心遣いもお忘れなく。
希薄になり、簡略化されつつあるとは言え、まだまだ現代に伝え継がれる伝統行事、習俗は少なくありません。伝統行事や習俗は、それぞれ意味があって先人たちが生み出してきたものです。慌しくストレスの多い日常生活の中、これらの行事を通じて時間がゆっくり流れていた時代の気分を味わってみるのも良いかもしれません。2010年はどんな年になるのでしょうか。素敵な一年でありますように…。
Writen by Y
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2009年12月25日(金)2009年最後の記事。今年一年ありがとうございました。
2009年とうとう最後になってしまいました。早かったような、長かったような、色々なことがありましたね。テレビのニュースで『野党側の対応は…』のアナウンスと共に見慣れた自民党幹部方の映像が流れ、??と一瞬戸惑うのは私だけでしょうか(汗)。今日は年末、お正月準備のお話をしましょう。
お飾りや注連縄(しめなわ)は29日に飾ったり買ったりしてはいけない?

忙しい現代、お正月の行事も徐々に簡略化されてきましたが、お正月飾りは皆さんされていらっしゃいますね。お正月飾りは縁起物。31日に飾るのは『一日飾り』と言って葬儀の祭壇を一日で片付けることにつながるとして嫌います。また29日に飾ることは『にじゅうく=二重苦』につながるとしてこれも嫌います。28日は「末広がり」の八であることから、この日に飾るのがベターとする説もありますが、現在では28日までに…と言うのが一般的な慣例のようです。
30日については不思議と聞いたことが無いのですが、旧暦の時代には12月も30日までしかなく、大晦日は12月30日だったようです。日本が西洋と同じ太陽暦(新暦)を使うようになったのは、なんと明治になってからのことなんですね。この経緯を考えると、30日に飾るのも『一日飾り』に近いと言う話になります。せっかく縁起を担ぐのであれば、灰色縁起?はやめておいた方が安全かもしれません。このほか28日以前の大安の日に飾ると言う説もあります。どれも科学的な根拠は無いようですね。迷信と言えば迷信ですが、新しい歳一年の平穏無事や幸せを願う庶民の縁起担ぎ。その意味を理解した上で次の世代に伝えてゆきたいでものです。
まだ時間がゆっくりと流れていた時代、お正月は歳の初めの大切な行事でした。12月も早い時期から着々と準備を進め、新年の歳神様をお迎えし、一年の無事と豊作を願うのが慣わしでした。三が日は商店も店を閉じ、静まり返ったとおりに子供たちのはしゃぎ声が響いていましたっけ。昨今は何もかもが忙しくくなり、元日から営業するお店も多く、お正月らしさも大分薄れてきたように感じますね。
『松迎え』、『お正月様』と言う言葉があるのをご存知ですか?

昔、門松やお正月飾りはそれぞれの家で用意していました。これに使う松を家人が山に取りに行くこと『松迎え』、『お正月様』と呼んでいたようです。山へ入る日については、12月最初の大安の日、12月13日など地域によって色々な慣習があるようです。その歳の開きの方(恵方)に取りに行くと言う説もあります。そうして取ってきた松を敷地内の清浄な場所に保管し、年末近くになってお正月飾りに使用します。お正月を迎えると言うことと時間をかけて向き合い、大切にしていたのですね。それだけ新年に対する祈りが大きかった、厳しい自然環境の中にあったということなのでしょうね。
この松については、現代でも門松の他、『松飾り』と言って門口に松だけを飾る簡略式、更には神棚に飾ったり、注連飾りにアレンジしたりと様々に使われます。松は一年中緑の葉を着け丈夫で生命力に富み、実は食用に、幹は木材に、とそれこそ何から何まで役に立つ樹木です。現代では門松や注連飾りは一般に『歳神様をお迎えするための目印』と言われることが多いようですが、古くは家にお招きした歳神様の拠り代(よりしろ)として考えられていたようです。地方によっては床の間や大黒柱、米蔵などに大きな松を飾る習慣のあるところもあり、今でも一般家庭の神棚に、松を神様の拠り代としてお祀りする地域もあるようです。それで『お正月様』と言う呼び方を理解することが出来ますね。
喪中の場合のお正月飾りは?

これも最近私の周りで話題になりました。正式にはタブーなんですね。先日書いた『喪中の初詣』と理由は同じです。神様は穢れを嫌うので、喪の家に歳神様をお招きするなど不謹慎と言うことのようです。しかしここでも『喪はいつになったら明けるのですか?』と言うことが大きな問題になってきますね。これはもうご近所や年長の方にお訊ねするのが賢明でしょう。神道では五十日祭が終われば喪は明けると考えるようですが、喪中欠礼案内を出しておいて門松は無いでしょう!と言う考えは確かにあります。本来は故人を偲ぶためにある服喪ですが、どうも最近は一人歩きしてしまっているようです。家庭内ではご家族に違和感がなければ静かにお正月をお祝いすることは差し支えないと言う意見が多いですが、対外的には地域の社会通念に従うことが一番無難と言えそうです。
除夜の鐘を聞きながら新しい歳を迎える。その意味は?

除夜とは古い歳を除く意味から生まれた言葉だそうです。新しい歳にむけ、前年とお別れするための鐘の音と言うわけですね。よく除夜の鐘は108回と言われます。伝統を守る京都のお寺などでは、日の出までにきっちり108回を打つところもあるようです。この108回と言う数字、よく人の煩悩が108あるからそれを一つ一つ打ち消してゆくのだと言われますが、他にも四苦八苦を計算すると108になるとか、12ヶ月24節気72候を加えると108になるだとか、諸説があるようです。しかしお念珠の珠の数も108ですので、何か仏教上意味のあることなのかもしれません。
僧侶の方のお話では、大掃除をして場を清め、新しい歳を迎える準備をし、最後に自らの懺悔をして心を清め、新しい歳を迎えるのだそうです。慌しい日常生活の中では内省する機会も少なくなりました。除夜の鐘の音を聞きながら今年一年に想いを巡らせ、自らに懺悔してみるのも良いかもしれません。どこからともなく聞こえる大晦日の除夜の鐘は、そんな気分にさせてくれる不思議な力があるようです。

このブログがスタートして九ヶ月になります。その時々の話題を担当者で繋いできましたが、並べてみると本当に色々な話題がありますね。これからも気付いたこと、お得情報、エッセイなどなど、『継続はチカラなり』でお伝えしてゆきます。来年もご愛読よろしくお願い致します。読者の皆様、どうぞ良いお歳をお迎え下さい。ありがとうございました。(スタッフブログのスタッフ一同)
Writen by Y
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2009年12月13日(日)今年喪中だったけど、新春の初詣って行ってはいけないの?
12月も中旬。いやはや本当に早いですね。テレビのニュースなどでは既に今年一年を振り返る話題が出ていたりして、「えぇっ?」っと驚いてしまいます。友人との会話にも初詣や新春の話題。そんな中、『初詣に行ってはいけないの?』という話を何度か耳にしました。少し気になって調べてみたのでご報告します。
喪中の人は神社にお参りしてはいけないんだって!

実は私、もう良い歳なのですが、この話は初めて聞きました。確かに子供の頃祖母から『神様は穢(けが)れを嫌うから…』と教えられてはいましたが、その先は、『鳥居をくぐってはならない。鳥居の脇からお参りしなさい。』というものでした。しかしお参りそのものがいけないと言う習慣があったとは! しかも一年間? この基準に照らすと、私はこれまで何回も『いけない事』をしてしまったようです。 そんなこと、今更言われても困ります。まじめに焦ってしましました。 彼女が言うには、喪中欠礼葉書を出すということは喪中、即ち不幸があってから一年間は喪中だと言うのです。そして喪が明けるまでは神社にお参りすることは遠慮しなければならない。と言う話しです。
神社はダメ。ならばお寺なら良いのでしょうか?
祖母も、くだんの友人も、問題にしていたのは『神社』の参詣。神社仏閣とは言っていません。ならば寺院はOK?素朴な疑問が湧いてきます。地鎮祭には神主さん、出生したらお宮参り、結婚式は教会で、亡くなるとお坊さんをお呼びする…。神様仏様イエス様までが混在している現代の日本ですが、そのあたりはどうなんでしょうね。知り合いのお坊さんに直撃インタビューしてみました。

仏教では死を穢れと考えませんから、もちろんご参詣頂いて問題ありません。
知り合いのお坊さんはあっさり回答してくださいました。やはりこの時期になるとこの手の質問は少なくないのだそうです。みなさん迷われるのですね。お寺では、身近な方の死を悼む心、また旅立たれた故人の冥福を祈る心を仏様に伝え、救いを求めておすがりして良いのだそうです。確かに仏式では、亡くなった方は戒名を頂き、お位牌としてお仏壇にお祀りしますよね。故人は生身の私たちよりも仏様に近い存在になるようにも思えます。
では神社の見解はどうなっているのでしょう?
神社も考え方は色々あるようです。神道の方は神式で神主さんをお呼びして御葬儀を行います。大づかみに言うと、神道では葬祭の儀によって死の穢(けが)れを祓い清め、故人が御霊としての存在になると考えます。ですから死が穢(けが)れであるから喪中の方は遠慮して…というのもちょっと乱暴な話しです。以前お目に掛かった神職さんは、『そうはいっても、辛いときこそ神様におすがりしたいものだよね。私はお参り頂いて構わないと思いますけどね。』とおっしゃっていました。しかし基本的には喪中の間は参詣を遠慮すると言うのが神社の基本的な考え方のようです。
では『喪』はいつになったら明けるのでしょうか?

詰まるところこれが一番の問題ですね。神道の方に聞いたところでは、神道では服喪期間が故人との血縁の近さで異なるのだそうです。しかし最も近い親子でも服喪期間は五十日とされているとのお話でした。古来身内に不幸があると、一年間を喪に服すと言う習慣が多くの地域であったようです。一年間は身を慎み、故人を悼む気持ちを大切にする。もちろん華やかな席や慶び事への出席は全て遠慮するのが基本です。悲しみに暮れる家族に取っては、とてもそんな気になれないですし、それは故人に対しての心遣いなのでしょうね。そこで必ず一回は訪れる新年に「喪中欠礼』となるわけです。しかし何もかもが忙しい現代、慌ただしい日常生活の中で、一年間も喪に服していると、逆に『早く元気になって、元の生活を取り戻して!』 『いつまでもくよくよしていないで!』と周囲から引き立てられてしまいます。
現代の実情に合わせて考えるならば、本当の意味での喪中は仏式の七七忌(俗に四十九日)と考えて差し支えないようです。葬儀参列のお返しや、墓地への納骨も多くの場合この日を目処にします。心の傷は癒えなくても、そろそろ日常生活を取り戻さなければならない時期ですね。家に神棚をお祀りしているお宅では、不幸があると神棚の前に半紙や白い紙を貼って祀り事をお休みします。この白い紙を外すのが、忌み明けの時とされ、一般的にはやはり四十九日を目処としています。(私の田舎もそうでした)。神道では丁度の時期に『五十日際』という祭事があります。仏式の四十九日とほぼ同時期になります。
なるほど。それで初詣はどうしましょうか?

宗教的には、お寺はもちろん、神社でも弔事から五十日を過ぎていれば参詣して問題ないようです。後はご本人のお心次第でしょう。とても近い方を亡くされた場合など、家族連れで賑わう初詣に出掛けて、余計に悲しい思いをさせてしまう可能性もありますので、お誘いする時は注意が必要ですね。しかしもう一つ厄介な社会常識、習俗というものがあります。いくら神様や神主さんが歓迎して下さっても、『あそこの娘は喪中なのに初詣に行ってたよ!』などと近所の人や親戚の人に後ろ指を差されては、元も子もありません。この辺りの『常識』は地域によっても異なる場合がありますので、身近な年長者の方にお伺いを立てて従うのが、一番無難な方策と言えるようです。『迷ったときは年寄りに聞け!』ですね。 初詣の考察でした(笑)。
Writen by K
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2009年09月24日(木)彼岸花ってとても不思議な花ですね。
秋のお彼岸が近づくと、川の土手やお墓の近く、庭の日陰などに突然咲く赤い花。葉はどこにも見当たりません。ある日突然のように真っ赤な花が咲いている。しかも毎年間違うことなく、見事にお彼岸の頃に咲くことからその名も彼岸花。本当に不思議な花ですね。葉っぱは見たことがないように思います。「そろそろ見ごろ…」との噂を聞いて、埼玉県日高市にある群生地『巾着田』へ行ってきました。
巾着田と言う名前は、その地域の形状からつけられた俗称との事で、地元のみなさんは“川原田”と呼ぶのだそうです。地図で見ると良く解るのですが、付近を流れる高麗川がこの地域で大きく蛇行し、まるで口を絞った巾着のような形になっています。その蛇行する川の内側の面積がなんと22ヘクタール。古くはその全てが田んぼだったそうです。現在はおよそ半分ほどが自然を生かした市民の憩いの場として整備され、残りの半分は休耕田、牧場、そして一部に水田が残ると言った状況です。
巾着田のサイトはこちら

ではちょうど今見頃を迎えている彼岸花について少しお話しましょう。この植物はヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草で、無性生植物のため種子での繁殖が出来ず、球根でのみ増えてゆきます。関東地方では九月始め頃、アスパラガスのような緑の花茎が地表に顔を出し、およそ一週間ほどで30~50㎝ほどに伸びて、先端数個の赤い花を咲かせます。この時地表に葉はなく、花茎が地表に出てから開花までの期間も短いため、何も無いところに突然真っ赤な花が咲いたように感じるのでしょうね。花が終わると草丈と同じくらいの細長い葉が地表面に広がるようにして出てきます。しかしそれも春先になると枯れてしまい、花茎が地表に顔を出す秋口まで、地面の上には一切何もありません。なんとも不思議な生態です。
ヒガンバナにはたくさんの呼び名があります。彼岸の頃に咲くので彼岸花。曼珠沙華は良く聞きますね。他にも死人花、地獄花(有毒であること、墓地に多く見られるためでしょうか)、幽霊花、狐花(ある日突然何も無いところに派手な花が咲くからでしょうか)などなど、全国各地に数百種類もの呼び名があると言われます。どれもあまり明るく楽しいイメージではありませんね。

ヒガンバナは有毒植物です。根の部分にリコリンと言う成分を多く含み、誤って口にすると中枢神経に作用し、多量の場合は死に至ることもあり危険です。一方ヒガンバナは生薬として利尿や去痰に用いられてきましたが、薬と毒は紙一重、使い方を誤ると危険ですので、素人は手を出さない方が賢明ですね。ヒガンバナが田んぼの畦道や墓地で多く見られるのも、実はこの毒由来と言う見方もあります。ヒガンバナでは毒が地下の根の部分にあるため、これを周囲に植えることで田んぼにとっては迷惑なモグラ、ネズミなどが嫌って近づかないように。また土葬だった時代には、墓地が動物に荒らされるのを防ぐ目的で、人により植えられてきたと言う説です。なるほど生活の知恵ですね。でもそのために不吉な名前をつけられたのでは彼岸花が可愛そうな気もします。
日本の彼岸花は、原産地の中国から持ち込まれたものといわれていますが、欧米ではリコリスと言う学名で呼ばれ、同種のものがたくさんあります。花の開花時期が先祖参りの習慣がある彼岸に近く、また前述のように墓地などに多く見られることから、日本ではあまりイメージが良くありませんが、改めてみると華やかで美しい花ですよね。欧米では園芸種としてはもちろん、切花種としても用いられ、品種改良も進んでいるようです。日本でも最近はリコリスの呼び名で多くの園芸種を見かけるようになりました。有毒種ゆえか、殆ど病害虫の被害がないそうです。それなら案外栽培は簡単かもしれません。来年当たり挑戦してみましょうか…。
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2009年09月18日(金)受け継がれてきた季節感、二十四節気とは?
秋の大型連休、皆様いかがお過ごしでしょうか。 『どこまで行っても千円』が適用になる高速道路は、各地で大渋滞が発生しているようですね。確かに家族旅行なら絶対お得!それも遠くへ行けば行くほどお得になります。今まで高速料金を計算して『かかるなぁ~』と諦めていた遠方も、『今のうちに行ってみよう!』と出掛けたくなってしまいます(笑)。お得な分、少々渋滞の苦しみを味わうことになりますが、『千円なら仕方が無いか…』と。前置きはさておいて、秋のお彼岸=秋分の日を絡めた今回の連休。その秋分とは、暦のなかにある二十四節気の一つなのをご存知ですか?今日は古人の知恵、二十四節気についてご紹介します。
さて二十四節気(にじゅうよんせっき)は、古来から暦の上で使われる季節を表す言葉です。最近では天気予報などでも『明日は二十四節気の白露にあたります…』のように解説されることもあるので、聞き覚えのある方も多いかと思います。私たちが一番良く知っているのは、夏至、冬至、節分、春分、秋分、などでしょうか。普段は気にもせず使う言葉ですが、これらは全て二十四節気に含まれるものです。

もともと二十四節気は、古代中国で生まれたものが日本に入ってきて定着したようです。当時中国で利用されていたのは太陰暦(月の満ち欠けを基準にした暦)。月の周期は平均29.5日ですから、これを基準にすると一年はおよそ354日となり、太陽の動きを基準にした一年よりも11日短くなります。一年で11日足りないと言うことは、8年で88日(現在の暦でおよそ三ヶ月)足りなくなりますから、太陽が司る現実の季節感とは季節一つ分のズレが生じてしまいます。“11月頃猛暑の真っ最中!”と言ったことになってしまうわけですね。いくらなんでもこれでは不便と言うわけで、太陽回帰年(太陽が横道上を一周する時間を一年とする)を24等分し、それぞれに季節を表す言葉を割り振った二十四節気が誕生したと言うことのようです。

太陽回帰年を24等分と言っても、日数で等分する平気法と実際の太陽の動きによって等分する定気法の二種類がありますが、現在使われているのは定気法です。一年を24等分するのに、なぜ日数で分割するのと太陽の動きで分割するのと違うのか不思議に思いますよね。同じ一年なのに!。その答えは太陽の軌道にあります。軌道が正円なら太陽の動くスピードは常に同じ、従って分割結果は日数での分割と等しくなります。しかし太陽の軌道は楕円形ですので、その動く早さは常に一定ではありません。なので、平気法と定気法に差が出てくることになるのです。

定気法での二十四節気は、夏至、冬至、春分、秋分を基準に割り付けられてゆきます。春分、秋分は太陽の視黄経が0度となったとき、冬至は同じく270度、夏至は90度になったときです。これを基準にそれぞれの期間を8等分、全部で24等分になります。太陽が最も高い、低い、赤道と交わる、この基準となる四点を、二至二分と呼び、これに立春、立夏、立秋、立冬の四立を合わせて八節と言います。
一年は十二ヶ月、そこに二十四節気ですから、およそ二節気で一ヶ月の計算になりますね。月替わりに近いものを節気、月半ばに近いものを中気と呼びます。二至二分は中気、四立は節気になります。では次に二十四の節気を挙げてみましょう。
立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

これで一年ですね。よく知っているもの、なんとなく聞いたことがあるもの、初耳?なもの、色々かと思いますが、これを機会に時折気にしてみてください。旧暦を元に作られているので、現代に置き換えると少し季節を先取りしているように感じますが、だからこそ、『もうそんな時期かしら…』と季節の移ろいを感じることが出来るのかもしれません。今月の中気は秋分。これを過ぎると次第に昼間が短くなり、秋の夜長が始まります。いよいよ秋も本番、少しずつ朝晩の冷え込みが強くなり、紅葉前線が山から里へ向かってスタートします。今年もいよいよラスト1/4。元気にスパートしましょう!
Writen by Y
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2009年05月21日(木)山は今が春爛漫!穴場(時)?です
先日群馬県の谷川岳に行ってきました。谷川岳と言えば、川端康成の『雪国』の一説にあるあの有名な一文『トンネルを抜けると雪だった』。そのトンネルの上にある山塊こそ谷川岳なのであります。関東と越後を隔てる谷川連峰と呼ばれる一郡の山々です。冬場は日本海を渡って来る湿った空気がこの山塊にぶつかり、越後側に大量の湿った雪を降らせます。一方山塊の反対側に当たる関東地方は、降雪で水分を失ったドライな「空っ風」が吹き下ろし、冬晴れの晴天が続きます。本当にトンネルの向こうとこちらでは嘘のように天気が異なります。自然のなす事はダイナミックで不思議です。
さてその谷川岳。『一ノ倉沢』の名前は山好きの方ではなくても、何となく聞いたことがある名前ではないでしょうか。一の倉沢は日本三大岩壁の一つに数えられるごつごつとした岩肌の険しい山容の沢です。毎年大量の雪が流れ下る事により、年月を経て荒々しく削り取られたその形状には、沢山の谷やオーバンハングがあり、二千㍍にも満たない標高にもかかわらず、真夏でも雪渓が残ります今に語り継がれる昭和35年のザイル宙づり事件を始めとし、多くのクライマー達が命を落とした魔の山でもあります。
大きな地図で見る今回訪れたのは、一の倉沢の出合と呼ばれる岩壁の登り口の部分。関越自動車道の水上ICから国道291号線を谷川岳方面へ進むと、行き止まりの終点がこの一の倉沢出合いです。 谷川岳の山頂はトマノ耳(標高1977m)とオキノ耳(標高1963m)の双耳峰。現在では谷川岳ロープウェイで天神平まで上がると、そこから徒歩でおよそ2時間半で登頂可能です。しかし複雑な地形と、急峻な岩壁に加え、この地域は本州の中央分水嶺に当たるため、急な天候の変化も多く、今日でも遭難者の数では他の追随を許さないハイリスクなエリアです。乗り物を下り、徒歩で山に入る場合には、入念な準備とそれなりの装備が必要であることは覚えておいてくださいね。

さてさて軟弱な私は、一の倉沢出合付近を少々歩き回り、そのまま隣の幽の沢出合まで水平方向にトレッキングしてみました。これなら殆どアップダウンもなく、トレッキングと言うよりもウォーキングに近い感じ。付近一帯の状況に詳しい方にガイドをお願いして歩いてみました。
車を降りた途端に沢山の雪が残っていました。半袖のポロシャツで気持良い気温なのにです。目の前には雄大な大岩壁!谷筋はまだまだ大量の雪で埋め尽くされています。地元の方によると、今年は雪解けが早いのだそうです。 「えっ!これで?」とびっくり。岩壁の間を走る白い線は、雪解け水が滝となって流れ落ちているのだそうです。近づくときっとものすごい高さと水量なのでしょうね。

このあたりでは季節はちょうど一ヶ月戻ったくらい。木々の新芽が芽吹き、シダがクルクル巻いた芽を伸ばし、スミレや小さな花たちが足元の緑に華を添えていました。雪解け水が集まって流れる川の水はまさに氷水。手を浸すと痛いほど冷たくて、三十秒もガマンできません。沢を埋め尽くした雪渓の下に川の流れがありました。雪渓の上を歩いても全然大丈夫な雪の量ですが、ちょっと不安になりますね。この冷たい流れでは、落ちたらアウト!。しかし雄大な絶景、そして何とも言えない雰囲気。魔の山と言われながら、それでも人々を惹き付けて止まない、確かに不思議な魅力のある場所でした。

大賑わいだった大型連休から二週間。平日だったこともあり、道路はスイスイ、観光地もひっそりと静かでした。ちょうど高原や山々は芽吹きの季節を迎えた頃で、新緑も美しく、高山には残雪の白。お天気が良ければ空のブルーも加わって素晴らしいコントラストが楽しめます。梅雨入りまでの短い間ですが、自然をゆっくり楽しむには一番良い季節。連休後でお財布は寂しいし、あまり出掛ける気にならない時期ですが、日帰りコースで小旅行。自然の中に出掛けてみては如何でしょう。今年二度目の静かな春を是非楽しんでください。
人の多くない時期だからこそ、自然の中に入る際は十分な事前の情報収集と準備、万が一のリスクに対する備えはお忘れなく。地元のガイドさんを頼むと安心です。
Writen by Y
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2009年04月17日(金)こんな素敵な公園が...(東京郊外国営昭和記念公園)
四月も半ばになりました。一時の花冷えが過ぎると突然に初夏のような陽気。桜の季節は一気に終わりを告げ、新緑の美しい季節になりました。この時期の緑は、本当にすさまじい成長スピード!二~三日見ないと景色が変わってしまうほどですね。

さて、そんな気持ちの良い春を感じたくなって、先週のお休みに国営公園なるものを訪ねみました。場所は東京都心から約35Km。郊外多摩地区の中核都市として発展を続ける立川市です。東京駅からJR中央線特別快速で40分ほど。駅の周りは高いビルの立ち並ぶ立派な都会なのですが、徒歩15分ほどで広大な昭和記念公園に辿り着きます。
ここはもと日本陸軍立川飛行場のあったところ。終戦後昭和20年9月、当時日本に駐留していたアメリカ軍が陸軍施設であったこの飛行場を接収しました。依頼地元の人々はここを『立川基地』と呼んで来たのです。時は下って昭和52年11月、アメリカ軍はこの土地を日本に前面返還しました。そこで国は、ちょうど検討中であった昭和天皇御在位五十周年記念事業の一環として、変換された『立川基地』跡地の一部を昭和記念公園として整備するに至ったのです。

昭和記念公園の総面積はおよそ180ヘクタール。立川市の総面積のうち7%以上をも占める広大さです。公園として整備することが決まったのが昭和52年11月。そして第一期開園が同58年10月ですから、その間なんと6年もかけて公園を作り上げてきたのです。開園から26年を迎える園内には、大きな樹木も多く、見事に整備された景観は、思わずここが東京であることを忘れさせてくれます。第一期開園から26年経過して、それでもまだ供用されているのは163ヘクタールなのだそうで、今後の成長発展が楽しみな昭和記念公園です。
あまりにも広大な園内を徒歩で全部楽しもうなどと言うのはちょっと無理な話。園内を一周するパークトレイン(タイヤが付いていて道を走るトレインです。)を利用するか、または一周14kmにも及ぶサイクリングロードをレンタサイクルで移動しながら楽しむのがお勧めです。マイ自転車の持ち込みもOK。園内の移動手段として整備されているサイクリングロードの為、車はもちろん、歩行者も原則として分離されています。障害物を気にせず、心地よいスピードで緑の中を駆け抜ける気分はまた最高!本当にスッキリしますよ!

季節の花もこの規模で見るとまさに圧巻!今の季節は桜、菜の花、ポピー、花壇の草花etc. これからは、ショウブ、アジサイと進み、夏のひまわり、秋のコスモス、そして紅葉と、一年を通して美しい自然をダイナミックに楽しめます。水鳥の池ではボート遊び、夏には9つのプールがあるレインポープールも開業。首都圏最大級のプールだそうです。
こんな素敵な公園が…。東京在住の方に限らず、首都圏近郊からわざわざ出掛ける価値は十分あります。来園者も年々増加して昨年は年間350万人も訪れたとか。何かをしに出掛けるのではなく、自然の中で何もしない時間を楽しみに、一日公園で過ごしてみるのもリフレッシュには効果大。あなたのお住まいの地域でも公営の大きな公園、探してみてください。

東京立川市 春の昭和記念公園からレポートでした。
Writen by Y
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